世界が終わる時、涙が零れない様に。
2003年5月4日終末思想。
昔々で云うなら新約聖書のヨハネ黙示録。
もはや過去の話ノストラダムスの百篇詩集。
日本で云うならなら千乃正法の千乃裕子。
記憶に新しいオウム真理教(アレフ)の麻原彰晃。
漫画なら望月峯太郎のドラゴンヘッド(映画化)。
終末思想を唱えたり、終末を匂わせるものというものは人はどこか興味を覚える。
終末=死。
死に対する考えは一人一人違うとは思うのだが、何より大概の人が思うのは『死にたくない』って事なのだろう。
死とは永遠の別れだ。
死んだ人間は当然生きてない訳だから、話し掛けたって返事もない。残された肉片は朽ちていくだけだ。
死んだ後も霊魂がどうのとかって考えは『今、死んだら未練が残る』って事なんだと思う。
未練…というより死んでしまっては、現在持ってる欲求を果たせなくなるって事か。
ご飯だって食べられない。セックスだって出来ない。寝てるようには見えるが寝ることすら出来ないのだ。
今、行えることや現在五感に感じている全てが無に帰すというのは、一体どういう風になることなのか、私の足りない頭では見当もつかないが、人間の最終地点は死であることは間違いない。
ただ、人生が死に向かっていく一直線であるはずがない。無限にある可能性のどれかを常に選択していく。そんな自分の判断が最終的に『人生』という行程を示していくのだ。
終末思想を唱える人達を、私は別に特別気にはしていないが、実際に自分に死期が来た時にそんな自分の人生についてどう思うのだろうか。
自らの終末思想を成就させる為に幾千人をも犠牲した、そんな人生を。
絞首台にぶら下がりながら見る走馬灯の中で、朽ち果てていく自分に悔いはないのだろうか。
終末思想を唱える人間を、私は死に関しては人一倍臆病に思える。
一人で生きるのも死ぬのもおっかなくてさみしいから、せめて道連れを求めてるだけのだ。
そんな事を朝のニュースでの白装束軍団を見ながら考えていた。
昔々で云うなら新約聖書のヨハネ黙示録。
もはや過去の話ノストラダムスの百篇詩集。
日本で云うならなら千乃正法の千乃裕子。
記憶に新しいオウム真理教(アレフ)の麻原彰晃。
漫画なら望月峯太郎のドラゴンヘッド(映画化)。
終末思想を唱えたり、終末を匂わせるものというものは人はどこか興味を覚える。
終末=死。
死に対する考えは一人一人違うとは思うのだが、何より大概の人が思うのは『死にたくない』って事なのだろう。
死とは永遠の別れだ。
死んだ人間は当然生きてない訳だから、話し掛けたって返事もない。残された肉片は朽ちていくだけだ。
死んだ後も霊魂がどうのとかって考えは『今、死んだら未練が残る』って事なんだと思う。
未練…というより死んでしまっては、現在持ってる欲求を果たせなくなるって事か。
ご飯だって食べられない。セックスだって出来ない。寝てるようには見えるが寝ることすら出来ないのだ。
今、行えることや現在五感に感じている全てが無に帰すというのは、一体どういう風になることなのか、私の足りない頭では見当もつかないが、人間の最終地点は死であることは間違いない。
ただ、人生が死に向かっていく一直線であるはずがない。無限にある可能性のどれかを常に選択していく。そんな自分の判断が最終的に『人生』という行程を示していくのだ。
終末思想を唱える人達を、私は別に特別気にはしていないが、実際に自分に死期が来た時にそんな自分の人生についてどう思うのだろうか。
自らの終末思想を成就させる為に幾千人をも犠牲した、そんな人生を。
絞首台にぶら下がりながら見る走馬灯の中で、朽ち果てていく自分に悔いはないのだろうか。
終末思想を唱える人間を、私は死に関しては人一倍臆病に思える。
一人で生きるのも死ぬのもおっかなくてさみしいから、せめて道連れを求めてるだけのだ。
そんな事を朝のニュースでの白装束軍団を見ながら考えていた。
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